■ コープベンチャー号の夜 ■

コーブベンチャー号の夜   座礁船コーブベンチャー号 関連記事掲載

 

平成14年7月25日、志布志湾で最大の座礁事故があった。穀物タンカー、コープベンチャーの乗組員のうち、死亡4名、重症3名、軽症12名を出し、燃料の重油が志布志湾を汚染した。生存者15名が、志布志中央クリニックに緊急搬送され、初期治療を終えた後、一人が『びろうの樹整形外科』に、三人が『曽於郡医師会立病院』に、入院目的で転院した。

 

1章 嵐の中の静けさ

巨大穀物タンカーはニュ-オリンズで、トウモロコシ5万7千トンを積み、平成14年7月21日、志布志港に入港した。しかし荷揚げが終わらないうちに台風が接近し、23日には、避難のために港を一旦はなれることになった。
25日、午後4時、マリンサービスの小玉は、台風対策の為、タグボートを志布志港内の中ほどに投錨し、固定する作業をしながら思わずつぶやいた。「あのタンカー、岸から近すぎる。」その視線の先には長さ224m、幅32m、排水量3万6千トンの巨体が、どんより曇った志布志湾のど真ん中で白波に洗われていた。はじめて見る、異様な光景でなぜか嫌な予感がしてならなかった。
平成14年は、蜂が低地に巣をつくり、台風の当たり年だと心配されたが、案の定、今度で3回目の台風接近である。
7月25日午後5時、強風と横殴りの雨の中、新地はエプロンロード(スーパーマーケット)で買い物をしていた。台風対策の為である。新地は、志布志中央クリニックの医事課長を務めていたが、このクリニックは3月20日に開院したばかりである。台風が接近するたびに、3人すなわち新地課長、内田事務長、安田院長はクリニックに泊まった。非常時に備えてのことであるが、口の悪い人は台風パーティーだと揶揄していた。毎回宴会が始まるからである。
午後7時、新地、内田、安田の3人は志布志中央クリニックのデイケアー室に集まった。卓球で1時間ほど汗を流した後、利用者様の為に作った1度に8人ほども入れる大きな風呂で湯地気分にひたり、汗が引くのを待とうともせず、焼肉を始めた。もちろん、ビール、焼酎つきである。無床診療所なので当直の義務もなく、のんきなものである。
軽口をたたきあいながら、酒もすすみ、1時間もしないうちに安田は寝てしまった。前日の夜の急患で、睡眠不足だったからである。内田と新地は屋根や窓に打ち付ける雨風に負けぬように、大声で語り合っていた。
「事務長、その腹はまるで布袋さんだね。」
「そういう課長はねずみ男そっくりじゃないか」
「われわれは人間とはちがうの?それなら院長は、こなきじじいかな?」
大笑いである。
時計が11時半を回ろうとしていたそのとき、かすかに聞こえる電話の呼び出し音に、話が中断した。内田は事務室に走り、受話器をとった。やがて帰ってきて院長の安田を起こした。
「院長、今、救急隊から電話があり、大崎で座礁事故があったようです。軽症の5人を受け入れてほしいとのことです。」
「分かった、引き受けるから、待機の看護婦をよびだしてくれ。」
言い終わるや否や安田は再び眠りについた。しかし30分たっても患者は来ない。再び、電話がかかってきた。いつも悠然と構えている内田がこのときばかりは、あわてた声を出して安田の耳元で大声を上げた。
「ほかに10名いるそうです。怪我は無く、皆ずぶぬれだそうです。合計15名を受け入れてほしいそうです。」
安田は、思わず生唾を飲み込んだが、すぐににっこり笑っていった。
「ちょうど風呂も沸いてる。全員受け入れようじゃないか。職員全員に連絡して、可能な人は至急出勤するようにしてくれ。」
新地と内田が職員に電話連絡している間、安田は冷たい水で顔を荒い、冷水をのみ、さあ一頑張りするかと気合を入れていた。3人ともこれから起こる事態が、どんなものであるか想像すらしていなかった。

2章      大走錨

25日午後11時前、大崎町菱田消防分団長の児島は、家にむかった。詰め所待機から、自宅待機に切り替わったのだ。帰り着くと待っていたかのように消防本部からの電話があった。
「菱田海岸に国籍不明船が停泊しているという通報があった。ちょっと見に行ってくれんかね。」
娘の香織を軽トラックの助手席にのせ、現場に向かった。
「お父さん、なんか油くさくない?」
「台風でどこかの家のボイラーでもやられたんじゃろ。」
現場にはすぐに到着した。その明かりで、まるで横倒しの高層ビルの様に見える、巨大な物体が、白波に洗われていた。明かりがついているので大丈夫だろうと、引き返そうとしたときに、軽トラックのヘッドライトを目指して、二人の男が松林の中から飛び出してきた。車の前でへたり込んだ二人をみて、児島は思わずつぶやいた。
「うんにゃ、こいはどこん人種かよ」
言葉は通じない。身振り手振りで、遭難したこと、ほか
にも仲間がいるらしいことはわかった。応援を呼ぶために
携帯電話で消防本部に連絡した。
「難破船です。生存者2名確保。他にもいる模様。応援頼む。菱田川河口南側です。」
「台風避難で志布志湾内に錨伯中のタンカーが、強風のために走錨し、座礁した模様。警戒出動指令が出た。非番召集隊も編成し、団員が現場に向かっている。」
現場に到着した消防団員は徒歩で砂嵐の海岸を必死に捜索し、合計15名の生存者を救出した。
26日午前0時過ぎ、児島は消防本部に電話を入れた。
「15名確保、救急車に4名、残りは、軽トラック、その他の車で運ばせる。どこの病院が良いか。」
「救出した者はすべて、志布志中央クリニックが収容してくれるとのこと。」
「全員ですか?」
「そのとおり、再度言う。すべて志布志中央クリニックへ搬送せよ。今のところ受け入れを表明したのはここだけだ。」

第3章 野戦病院

職員たちの格闘が、いっせいに始まった。雨風と戦い、眠さと恐怖と戦い、ハンドルを手の汗で湿らせながら、看護師が、事務員が、技士が、そしてその家族までもが駆けつけてくれた。
26日午前0時30分、雨風はおさまってきていたが、時折、強風と横殴りの雨がクリニックの窓を打ち鳴らしていた。その窓が赤く点滅した。
救急車だ。院長は待ちかねたようにドアを開け、外に出た。看護婦の池尾、二重、内田が後に続いた。風雨の中、遭難者たちは、救急車からつぎつぎと降りてきた。
最初の4名であったが、一瞬、黒人・・・・白いギョロ目の黒人・・・・に見えた。近づいて、石油臭さが鼻腔と脳をえぐるまで、気がつかなかった。確かにずぶぬれだったが、なんと重油でずぶぬれだったのである。たちまち救急外来室はパニックになった。
看護婦の畠中は首を横に振りながら言った。
「話が通じんとよね。通訳はおらんとね?」
全身に擦り傷、切り傷があるのだが、重油は石鹸で落ちない。どうしたら落とせるのか。院長は口をあんぐりあけたまま、言葉が出ないのか、盛んにジェスチャーをしている。それを見ていた、新地夫人が叫んだ。
「ママレモンで洗いましょう。誰か厨房からママレモンをとってきて」
「よし、風呂場に移動してママレモンで洗おう。ほかにもまだ来るから、急いでやろう」
看護婦の蔵重、中川、そして職員家族の新地、松下が浴室へ行った。
すぐに軽トラックが、荷台に遭難者を乗せてやってきた。服を脱がせ、バスタオルをかけ、待合室のいすで風呂の順番を待ってもらうことにした。ところが、浴室からの情報がきた。ママレモンでも重油は落ちない。院長は大声でみなに聞いた。
「重油はどうすれば落ちるのか?」
「灯油」と答える声がした。軽トラックを運転してきた消防団員であった。
「灯油なら自分がすぐに持ってきます。」声の主は、情報収集に来た若い海上保安所の職員であった。
灯油を使って重油を落とし、石鹸で体を洗った。病衣を着てもらい、傷の処置をして、物療室や、ローカの長椅子で休んでもらった。
灯油と浴室と職員のがんばりのおかげで、作業はスムーズに流れた。
港湾サービスの藤山が通訳にかけつけてくれて、診療のスピードが上がった。遭難者は比較的、気持ちも落ち着いてきたようだ。
英語で遭難者と話す3名の日本人がどこからともなく現れた。ボランティアの通役だろうかと思って放置していたら、後で新聞記者とわかった。
船長と機関長はインド人だったが、残りはフィリピン人だった。
骨折、脱臼が疑われた人は、職員の前畑がレントゲン撮影を手伝った。肩に脱臼のあった一名は、びろうの樹整形外科診療所へ転送した。縫合の必要のない傷は、看護婦たちが洗浄、消毒などの処置を行った。遭難者の全員が重油による結膜炎を起こしており、目薬を点眼した。耳の穴に砂と重油が詰まっている者もおり、耳掃除もした。院長は数名の傷の縫合を黙々と行っていた。
遭難者の情報収集に、海上保安庁、消防署、警察署が別々にやってきた。そのたびに事務長の内田が対応に当たり、むなしくも懇願していた。
「見てください。床と壁とイスの重油を。明日は診療になりません。せめて掃除でも手伝ってください。」
課長の新地は、赤い顔をあちこちに出しながら、もつれた声で激励していた。
「これこそが、この救急医療こそが、わがクリニックの真骨頂だ。がんばれ!がんばれ!」
午前3時、浴室での作業を終えた職員たちは、床と壁とイスの重油を灯油で拭き落とす作業を始めた。そこへ千鳥足の課長が、くわえタバコで進入してきた。
「火気厳禁だよ!誰かこの酔っ払いを、どこかに寝かせてきてくれ!」
まだ酔いのさめぬ事務長が叫んだ。
午前4時、看護部長の川田がクリニック玄関から、勢いよく待合室に駆け込んできた。灯油で掃除してあった床で派手にすべり、大きな音をたてた。
「しまった、二次災害か」と、皆あわてて駆け寄ったが、不思議なことにすぐに起き上がって
「遅くなってごめんなさい。」と言った。
自宅の前の木が風で倒れ、夫と一緒にのこぎりで切って、やっと今たどり着いたとのこと。本当にご苦労様でした。
テレビの取材が来た。院長にインタビュ-したいとのこと。「この忙しいときに」と、腹だたしかったが、宣伝になればと引き受けた。
すべての処置が終わり、入院の必要な3名の患者の紹介状を医師会病院あてに書き終わり、転送の救急車を見送ったのは午前5時30分であった。9時からは午前の診療が始まる。
「あと3時間は寝れるな。」
背伸びをしながら、院長は大きなあくびをした。

第4章     嵐の記憶も薄れるころ

夜になると涼しさよりも、肌寒さを感じる季節となった。志布志の大黒ビアガーデンでは、ねずみ男、ほていさん、こなきじじいの3人が、生ビールで乾杯していた。
「難破船のときは大変だったけど、みんなよくがんばったね。」
「朝からの通常勤務も、そのままやってくれたからね。」
「でも新聞報道は、医師会病院の名前ばかり目立つから、しゃくだよね。」
「船長たちの入院を、お願いしたからね。医師会も面目が保てて良かったんじゃない。それにテレビは全国放送してくれたしね。」
「そのテレビは院長の、インタビューをカットしてあったじゃない。あの忙しいときに、時間をあげたのに。」
「マスコミは真実を伝えるとは限らないって事さ。関係団体が今度のことで、表彰されるらしいけど、うちは関係ないってことらしいよ。」
「医療人として当然の事をしたまでだと思うけど、それを聞くと、なんだかビールの味が・・・」
「でもね、おかげで、周りの医療機関が、救急患者をもっと積極的に受け入れようと、がんばるようになったようだしね。」
「地域の意識が変わったんだよね。住民にとっても、医師会にとっても良い方向に向かっているってことかな。」
「うちも、夜間の救急患者が急に減ってきたようだしね。」
「そうだね、こんなふうにゆっくりと、ビールが飲めるようになったことに感謝しなくっちゃね。」
「かんぱい!」
「カンパイ1」
「乾杯」

 

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